災禍の時代
令和の始まりは、新型コロナウイルスの大流行を伴って歩き出した。
押しては返す波のように数を重ねるコロナの流行波。
長い自粛生活に倦んだ人々はいつしか警戒心を忘れ、危機に対して宜しくない耐性ができてしまったように思う。
慣れ、とも言う。
慣れるほうが良いもの、慣れてはいけないもの、状況により様々である。
しかし、対人関係に於いては、良からぬ馴れ合いにはならぬよう、礼節と適度な距離感を常に持ちながら、凛として応じていきたいものだ。
露西亜による暴挙が原因の戦火は、世界に経済・情勢不安を齎した。戦闘は長引き、ウクライナの人々の恐怖や不安はいかばかりであろうか。
ここにも、決して慣れることのない劣悪な環境と国民の疲弊が厳然と存在している。
様々な災禍の吹き荒れるこの時代。
我々にできることは何か。
我々は今、時代に試されている。
この苦境をみごと乗り越えてみせよ、と。